2012年10月6日土曜日

発達科学部とは何か

A「何学部?」
僕「発達科学部というところなんですけど...」
A「ん?なにそれ?」

神戸大学の発達科学部に入学すると、このやりとりを何度もすることになります。
そして、入学して半年以上たっても未だによい回答方法が分かりません。

今回は現役の発達科学部生が、発達科学部とはいったい何なのかについて説明していきたいと思います。
発達科学部を目指している受験生やその親御さんたちに読んで貰えたら嬉しいです。


まず、「発達科学」について、発達科学部のホームページではこのように書かれています。


私たちは人間の発達 (development)と人間発達を取り巻く環境の発展(development)を対象として,教育・研究に取り組んできました。(中略) 発達科学部,人間発達環境学研究科は理論と実践,原理と応用,文系と理系等々の異なるものを包容し,ともに学び,ともに汗を流して研究する人々を求めています。多様な価値が共存するとはどういうことか,変わらぬものと変わるものをどう捉えるか等々の問題群を前にして,問を立てる楽しみを学生の皆さん と分かち合いたいです。
 (引用:http://www.h.kobe-u.ac.jp/ja/node/16) 


確かにそのとおりなのですが、抽象的すぎるのでもう少し具体的に解説してみようと思います。

まず、人間は誕生してからこれまでに、他の生物とは違い凄まじい発展を遂げてきました。近代から見てみると、産業革命を発端として、人間は様々な技術を発展させ、より「豊か」になっていきました。これがいわゆる、「人間の発達」です。

しかし、それと同時に、人間を取り囲む環境が変化してしまったことも事実です。環境の変化といえば、自然環境問題(いわゆる酸性雨やオゾン層破壊など)を思い浮かべる人が多くいると思いますが、それだけではありません。例えば、社会構造の変化もありますし、もしくは、人間も環境の一部なのだから、人間が発達してきた事自体が、環境の変化であるというふうに考えることもできます。これがいわゆる「環境の変化」です。

これらを中心として研究を深めていく、さらに言えば、人間の発達を促進もしくは阻害する原因となっている環境についての研究を行うのが発達科学部の使命と言えます。
ここでの環境は、人間を含むことに注意してください。

でも、ここで疑問を呈する方がいるのではないでしょうか?
例えば、自然環境問題を研究するのであれば、それは別に理学部で酸性雨の仕組みやら、オゾン層のメカニズムやらを研究すればいいだけの問題であって、わざわざ発達科学部でそれを学ぶ必要があるのか?という疑問です。

 勿論、発達科学部でそれを学ぶ必要はあります。

何故ならば、環境の変化というリスクは、様々な要素が複雑に絡み合っていて、ある専門だけを極めたからと言って、解決できるようなものではないからです。例えば、問題の発生のメカニズム(理学)、政治的な問題(政治学)、人々の意識の問題(心理学)、統計的な知識・技術(数学)などです。

今現在の学問については、「専門性」だけが突出していることが問題となっています。例えば昔の偉人であるニュートンをとって例を見てみると、彼の肩書きは、「哲学者」「自然哲学者」「数学者」「神学者」となっています(wikipediaより) 。他にも昔の偉人には、数多くの肩書きを持つ人がたくさんいます。逆に、今現在でこれほど多くの肩書きを持っている研究者というのは非常に少ないです。
なぜ彼がこれほど多くの肩書きを持っていたかというと、それは当時は今ほどに研究分野の細分化が行われていなかったからだという風に解釈することができます。

木に例えるとわかりやすいのですが、根から幹にかけて始まった「学問」は、発展していくにつれて、最初は1本だった幹が枝分かれしていきます。これがすなわち、「研究分野」です。はじめのうちは、枝の数も少なく、各枝の研究者たちは、周りの全ての研究分野を見渡すことができます。しかし、「学問」という木が成長していくに連れて、次第に枝の数が多くなり、学問分野の細分化が行われます。そうなると、すべての学問分野を見渡すことが出来なくなってしまうのです。これが今の現状です。

我々は、ただいたずらに真理の追求のためだけに、専門性をより深く深く研究することが問題解決の糸口となると考えてきました。しかし、海外では、1950年代から70年代にかけて、この専門性だけを追求した学問へ取り組む姿勢についての疑問が発生してきています。 このままでは細分化が進みすぎて、研究者たちは自分の専門の殻に閉じこもってしまう。それでは、自然環境問題のような様々な要素が複雑に絡み合った問題を解くことができなくなるのではないかという疑問です。

そういったニーズに応じて誕生したのが「発達科学部」です。

すなわち、発達科学部では、環境の変化の要因となっている様々な原因についての学問を総合的に学習していける場となっているわけです。実際に僕はまだ人間環境学科の1回生ですが、前期後期あわせて「数学」「物理学」「化学」「地学」「倫理学」「社会学」「人文地理学」 といった文理幅広い教科を、一般教養ではなく専門基礎科目として履修しています。(他にも「生物学」「日本史」「外国史」「法律学」などが専門基礎科目として学べます。)

自然環境問題以外にも、様々な要因が絡み合っている問題は数多くあります。例えば、発達科学部では、日本の研究者の中で唯一(?)ファションの研究をしておられる方がいます。ファッションと言えば、今の時代では「流行」を意味しています。しかし昔は、ファッションというものは「作法」であり「生活スタイル」であり「かたち・つくり」といった文化であった。時代の変動につれてファッションは我々にどのような影響を与えながら、その意味を変化させてきたのかという研究だったと思います。
もうお分かりかもしれませんが、ファッションを研究するためには、「文化人類学」「服飾史」「家政学」「社会学」「経済学」「哲学」「心理学」「記号論」などが必要となってきます。こんな研究を、発達科学部以外の何学部ですることが出来るでしょうか?


このように発達科学部は新たな研究分野を開拓し取り組んでいくわけですが、それ故に発達科学部生としての責任や負担は大きいです。我々発達科学部生は、第一に、幅広い専門性を持つ、すなわち数多くの枝(専門)を把握(理解)する必要があります。また第二に、専門分野のエキスパート同士(遠く離れて存在している枝同士)を繋ぐ役割を演じる必要があります。

ドイツの社会学者であるウルリヒ・ベックは自身の著書「危険社会」 の中でこう述べています。

リスクは専門分野の境界にまたがって存在する。

我々はこれらのリスクを取り除く役割を演じる必要があるわけであり、逆に言えばこのリスクを取り除くことが出来るのは我々しかいないということもできます。この専門分野の境界のことを「学際性」と呼びます。「学際性」はいわば、発達科学部にとって非常に大きなテーマです。



かなり長文になってしまったので、そろそろまとめます。

つまるところ、発達科学部というのは某教授曰く「虹」らしいです。

虹は日本では7色によって構成されているわけですが、その境界は存在しますか?境界を知らないで単色だけを研究し尽くして、虹を語ることができますか?
また、 虹には「橋をかける」といった比喩がよく用いられますが、われわれは全く異なる研究分野を繋ぐ架け橋のような存在になれるといった意味も込められています。

なんか良い感じにまとめたかったのですが、疲れたのでこのへんで。

東京を一人ぼっちで観光してきた2

旅行3日目 24日(月)

朝起きてから、とりあえず前述した友だちの家へ向かいます。
学校に行こうと玄関を開けると、目の前に僕が立っているというプランにしました。
粘ること45分、やっと友達が出てきて、無事にびっくりしてくれました。

出てきた瞬間を撮影ー


まあこんなことは置いといて、